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総研大

総研大というのは、大学共同利用機関という、国立の研究所で大学院生をとるためにできた大学です。これらの研究所は、総研大の基盤機関という位置づけになっており、総研大の教員はこれらの研究所の教員です(大学共同利用機関では、大学と同様、教授、准教授、講師、助手という職名がついていいます)。

ただし、葉山本部にある先導科学研究科だけは、特定の基盤機関に所属していません。

生命共生体進化学専攻

先導科学研究科は最初は二つ専攻がありましたが、これが生命共生体進化学専攻が統合する形で新設され、最近二つの専攻は最近廃止されました。

生命共生体進化学専攻は、進化学と「科学と社会」を目玉とする大学院専攻で、生命科学系と科学技術社会論系の二つが同じ専攻のなかにあり、そのどちらも学ぶことができます。

「科学と社会」分野とそこで研究可能なテーマについて

科学技術社会論を専攻する院生は、かならずしも生命科学を対象とする必要はありません。社会現象としての科学を対象とする研究において、主要なアクターはそれ自体生物である人間(科学者その他)であり、人間を対象とする社会学的・歴史的・人類学的研究は、生命共生体進化学の枠内に入るとみなされます。先導科学研究科は、分野の枠にとらわれないことがモットーですので、生命・生物・進化・環境を研究するのに、生物学という分野の枠で研究する必要はないわけです。

私自身、物理学史が専門ですので、たとえば物理学史を専攻したい学生を歓迎しますが、、上記のような趣旨ですので、学説史的な研究はそぐわないといえます。物理学史以外でも、私が指導できるような研究テーマであれば、なんでもかまいません。

この専攻にいる多くの教員は、生命系の研究者ですので、これらの研究者と接触することが有益であるような研究をしている院生に向いているでしょう。とくに、科学者を日々観察するのには、大変良い場所です。そして、すべてではありませんが、科学と社会の問題について関心をもつ生命系の研究者もいますので、そういう人たちと接触するのにも良い場所です。

ここではとくに分野にまたがるような研究対象、たとえば環境問題などの研究には適しているように思われます。また総研大と基盤機関との関係をいかして、ラボラトリー・スタディーズ的な研究には非常に向いている場所だと言えるでしょう。とくに研究所と地域との関係、のようなテーマは、私自身のテーマでもありますので、おそらくもっとも適している場所の一つだと思います。

なお、この専攻には副論文という制度があり、ここの院生はエフォート率のうち10パーセントをそれに用いなければなりません。科学社会論系の大学院生の場合は、4年生までの間、10パーセントの時間を生命系の勉強や、研究に費やすことになります。具体的には、生物学の基礎を勉強したうえで、実習を受け、さらに実験に参加したり、フィードワークをしたり、コンピュータシミュレーションをしたり、といったことから選択することになると思います。

そのため、物理学などの分野を対象とした科学史や、社会学を志す院生も、生物学を勉強することになりますが、これはそれほど大きな問題ではないと考えています。そもそも科学史・STSにおいては、分野別の研究ということよりも、より一般的な科学と社会との相互作用の問題が扱われるようになってきていると思いますので、物理だけしかやらないとか、生物だけしかわからない、ということではなくなって行くように思えるからです(実際、東大科学史・科学哲学であった実験実習は、生物学の実験だけでしたし)。

入学試験とアドミッションポリシー

入学試験においては主論文の研究能力を中心として合否を判定しますので、生物学の知識が皆無であって、自然科学に関する経験や適性がまったくない人でもそれだけで不合格になることはありません。ただし、主論文を書くのに不十分なほど自然科学に無知ではこまります。

また、試験のときは、専攻の教員全員と受験者との間で面接をし、合否判定は、全教員のつけた点数の平均点がまず出されます。大学院の試験ですので、単純に平均点で上からとるわけではないので、さまざまな要素を考慮しますし、指導教員になる見込みの教員の判断がcrucialになるのは当然ですが、それでも、生命系の教員に対しても能力を印象付けることを心がけたほうが有利でしょう。

この専攻では公式のアドミッションポリシーをまだ定めていません。しかし、非公式のアドミッションポリシーとして、私の研究室への受け入れの基準を次のように考えています。

  1. この研究室で博士論文を執筆できる見込みがあること。
  2. この研究室で勉強し、博士論文を執筆することが、その後のキャリアにとって十分生かすことができること。あるいは、そのような勉強をするだけの能力があること。
このうち、2番目の基準については、どのようなキャリアを考えているかによって違ってきます。これには研究者(アカデミック・キャリア)、ノン・アカデミック・キャリア、そして社会人院生の三つのケースが考えられます。

アカデミック・キャリアの場合

後でも書きますが、現在の日本においては、大学院で博士号を取得してアカデミックキャリアで成功できるのはごく一握りの人たちです。したがって、極めて厳しい競争に生き延びなければ成功はあり得ません。

そのため、アカデミック・キャリアを目指して大学院に進学する人には、まず、分野全体にわたる幅広い専門性を要求します。これはアカデミックキャリアに進む場合、基本的にこの分野では教育を担当するので、幾つかの分野の授業を担当できる能力が必要だからです。同時に、研究者として分野全体の幅広い理解を持つことは、学会・研究活動や、論文の査読・書評、研究費の審査等の評価活動においても必須です。そのためには大量の文献の読破が必要であり、そして当然その大部分は英語なので、和文・英文の両方についての高度な読書力が入学するための前提です。

その上で、自力で学位論文を書くための研究能力を身につけるだけの意欲と基礎能力が必要です。これに具体的にどのようなものが必要であるかについては、研究対象と、研究方法によって異なるので一概には言えません。例えば、一次資料が日本語以外の言語であれば、その言語の能力は当然必要ですし、自然科学のテクニカルな内容を扱うのであれば、その内的な理解が必要、また研究手法として統計処理等をするのであれば、その能力(あるいはその能力を身につけるだけの基礎能力)が必要です。もちろん、入学時にすべての必要な能力を身につけている必要は無いのですが、その後勉強するのであれば、そのための意欲・体力・時間が必要です。意欲のある人であれば、努力で能力をある程度カバーできますが、それにも限界があり、甘い見込みで進学すると、取り返しのつかないことになります。

このような能力は、入学試験の試験だけでは見ることができません。従って、予め研究室を訪問し、これらの能力についての判定を受けることが必要です。私の研究室では、非公式の予備試験的なことを行うことにしていますので該当する方は連絡してください。この試験は必須ではなく、この試験を受けなければ当研究室で受け入れないというわけではないのですが、能力の評価をより正確に行うことが受験生にとっても我々にとっても利益になることなので、お勧めします。

ただし、この試験によって将来アカデミック・キャリアに進めるかどうか、判定できるわけでもありません。将来の就職状況がまったく不明なので、この大学院で勉強し、優れた博士論文を書いて卒業しても、アカデミックなポジションへの就職の保証はまったくありません。この試験は、むしろまったく見込みのない人に早めに別の進路に進むことを推奨するためのものです。

ノン・アカデミック・キャリア

博士号取得者の、ノン・アカデミック・キャリアは、現在まだ未開発であり、今後どうなっていくかまったく予想できません。このキャリアにおいては、アカデミックキャリアにおけるような研究・教育能力上の競争とはまた別の種類の厳しい競争があるのではないかと思います。従って、研究・教育能力に関しては、アカデミック・キャリアに進んだ人ほど厳しい要求はしませんし、学位論文も、ずば抜けて優れている必要はなく、学位論文としての要件を備えていれば良いと考えています。

従って、入学時においても、アカデミック・キャリアに進む人ほど、ずば抜けて高い能力を要求しません。読解能力、文章能力、プレゼン能力などの、研究上も必要で、ノン・アカデミック・キャリアでも重要だと思われる基本的な技能の養成を重視します。それらの能力を身につけるだけの基礎的な適性と意欲があり、必要単位を取得して、学位論文を執筆する見込みがあり、かつ、そのテーマや勉強の内容が、目指すキャリアにとってなんらかの意味で有益であれば、受入れ可能です。

社会人学生

これも基本的にノン・アカデミック・キャリアを目指す人達と同じです。社会人学生の場合、すでに仕事があり、どのような業務をするのかがある程度分かっているので、より、問題ははっきりとしていると言えるでしょう。

ただし、大学院進学後、職を変えて、研究者を目指す、というのであれば、話は別です。その場合は、一番最初のアカデミック・キャリアを目指す場合と同じです。

この専攻で科学技術社会論を学ぶことのデメリット

生命共生体進化学専攻のある葉山は、文科系の大学院生にとって必ずしも居心地の良い場所ではないかもしれません。なによりも生命系、とくに実験系の教員・大学院生が大勢いるなかで、文科系の人員はごくわずかしかおらず、研究会をするのにも不十分です。図書館が小さいので、必要な文献が得られず、ILLをかなり頻繁に利用することになるでしょう。上記の理由により、東京にしばしば出かけていかねばならないかもしれません。

生命系の教員・研究者の人たちは、必ずしも文系的な学問に理解のある人たちばかりではありません。説明したり、理解したりする負担は、少数側のほうに重くのしかかってきます。しかし、そういった点も含めて、科学者というものがどういうものか観察するのにはいい場所であるともいえます。

ひとつの危険は、同級生も含めて、周りの人間は生命系の研究者ばかりですので、人文社会系の研究者になるための必要な勉強を見失ってしまう可能性があることです。周囲の人間とは違った勉強を貫くだけの強い意志が必要でしょう。

この専攻で科学技術社会論を学ぶことのメリット

ただし、この点は逆に有利に働くこともあり得ます。人文社会系の分野では、ある程度人が集まっているとかえって自分に近い専門の人間の世界に安住し、視野を広げられないまま、いつまでも活躍する場所を見つけられないでいる危険が常にあります。博士号を取ったからといって、自分の分野で大学教員のポストを得られる可能性がだいぶ低くなっている現在の状況では、大学院出の人間は、いろいろな意味で他人と差異化し、独自のキャリアを見つけることが重要なので、その意味で、真似をする相手すらいないという環境は必ずしも悪いことばかりではないかもしれません。

また、総研大というところは、すくなくとも今のところは研究費はかなり潤沢で、東京へ出かけていく旅費などは学生移動経費として大学がカバーできるだろうと思います。またキャンパスはリゾート地のようなところで、景色がよく、きれいでよいところです。ここに慣れると、ごみごみした東京に出ていくのがいやになります。

修了後の進路などについて

これは大学院進学に関して一般に言えることですが、現在の博士課程修了者の就職状況は非常に悪いです。進学志望者はこのことを当然十分意識すべきであり、あまり甘い予想を持ってはいけません。これは大学院に限ったことではないと思うのですが、試験に受かって、大学院に入れば、それで将来が保証されるということはまったくありません。日本の高等教育においては、大学入試が資格試験のような機能を持ってしまっているので、このような幻想が発生しているようですが、これは高等教育に関する根本的な勘違いであり、とくに大学院教育に関してはまったく成り立ちません。大学院の入試の段階で判定しうるのは、せいぜいのところ博士論文を書けるかどうか、そして研究者として必要な研究能力を持つだけの基礎能力と意欲・適性があるかどうかです(それすらもまったく確かではありません)。研究・教育職、あるいはほかの職種も含めて就職可能かどうかは、5,6年後、ないしそれ以降の外的な条件に依存しますので、まったく予測不可能です。したがって、試験で合格が出たからといってそれで研究者としての将来についてお墨付きがついたというものではありません。これは、どの大学でも同様だと思います。

とくに文科系の研究者に関してはそうですし、自然科学系でも同じような状況になってきていると思いますが、博士号までとった場合、進路はかなり厳しく限定されていると考えるべきです。博士課程に進学するのは自殺行為だとまでは言いませんが、ラッシャン・ルーレットみたいなものとはいえるかもしれません。それも、弾倉にいくつも弾の入ったラッシャン・ルーレットです。それでも、研究者以外の人生に価値を見いだせない人は、負けても失うものがないのですから、賭けてみてもいいでしょう。大学院に進む人はそのぐらいの覚悟で進学を決めるべきですし、進学してしまったら、少しでも可能性を高めるよう、最大限の努力をすべきです。

現状から予測できることは、学位を取ってすぐに就職できる可能性はほとんどなく、たいてい、ポスドクや研究員などをすることになるでしょう。しばらくはそのような任期付きの不安定な職を梯子することになると思います。運が悪ければ、それさえもなく、家庭教師、アルバイト、非常勤講師で、糊口をしのぐこともあり得ます。科学技術社会論や科学技術史のポストは数が少ないので、しばらく空きが出なかったり、突然複数のポストで公募が出たりというように、運が非常に大きく左右します。ですから、定職を得るまでに長く待つこともあり得ますし、逆に、運よくすんなり就職できてしまうこともあり得ます。どちらにしてもチャンスがあるときに、それを逃がさないだけの準備ができているように、努力しておかねばなりませんし、チャンスをじっくり待つだけの忍耐心も必要になるかもしれません。

研究者として、教育・研究職ないしその他の職の就職可能性を高めるための付加価値をつける方法はいろいろあります。どれもが必ずしも決定的ではないので、自分の進路を想定したうえで、十分考えて、なるべくなら複数の可能性が開けるように、危険を分散すべきでしょう。一番リスクの大きい(しかしひょっとしたらリターンも大きい)戦略は、ひとつのこと、つまり自分の専門だけに集中することです。逆に、おそらく一番、堅実な戦略は、汎用性の高い、基本的なスキルを高めておくことです。たとえば文科系の研究者であれば、語学能力を高めておけば、いろいろとつぶしがききますし、翻訳や家庭教師などの副業の可能性もでてきます。また、これは当然ですが、大学院にいる間に、授業科目を担当できるような基礎的な能力を身につけておくべきです。このように、教員の側、ないし専攻の教育プログラムの側で、ある程度就職可能性を高めるような配慮を考えることはできるのですが、最終的には、本人が判断し、努力しなければなりません。

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