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科学技術社会論に関して、科学や技術、とくに科学のことを考えるのに、なぜ社会のことも考えなければならないのか、という疑問が生じるかもしれません。科学的真実は、社会的背景や、文化的文脈とは無関係に真理であり、両者は切り離して考えることはできるのではないか、社会的なことは、科学をとりまく外面的なことであって、科学的な活動そのものではないのではないか、と。

これは科学科学技術社会論の根源的な問いかけにかかわることですが、とりあえず簡単な答えを試みるとすれば、二つのことが言えると思います。

まず第一に、今日の科学研究は、基礎科学も含めて、社会とのかかわりなしにはあり得ません。その主な理由は、基礎科学がかなりの程度、公的資金によって支えられているからです。同時に、基礎科学的な研究が、意図せずに、極めて大きな影響を社会に与えることもあり得ます。

第二の点は、それよりも科学の内容や、科学における研究活動の実態にかかわることです。現在のいわゆる科学は、極めて強力で、信頼性の高い知識ですが、その知識の発展は必ずしも厳密な論理や方法に従ったものではありませんでした。厳密な論理というのは、今日まで毎日東から太陽が昇ったからと言って、明日も東から太陽が昇ると推論するのは厳密には正しくない、という意味での厳密な論理です。このような厳密さは、知識を生産する上で、おそらくは障碍にこそなれ、有益なことはないでしょう。したがって、実際に科学、というよりあらゆる学問分野の研究においては、このような不毛な厳密さを適宜スルーする必要があります。しかし、このような厳密な論理は、厳密には正しいので、そのどれをスルーするかは、厳密には論理的に導くことはできません。だからといって、研究者がそれぞれ勝手に、この「テキトーさの度合い」を決めていては、研究分野に混乱が生じるので、研究分野、研究領域ごとに、「このぐらいのテキトーさの度合いでいいのではないか」ということをなんとなく決めておく、あるいは何らかかの形で共通の理解をもっておく方が良い、ということになります。そして、その共通理解が形成される過程は、社会的な過程に他ならない。それは、研究者の中の間の社会的な過程かもしれないし、あるいは、外からの影響もあるかもしれません。いずれにせよ、ここにおいても、社会的なものは科学研究の中に入ってくる。これが第二の説明です。
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