学部から修士までは、東大の駒場にある科学史科学哲学というところで学びました。そこでは主として、量子力学の解釈問題をめぐる論争の科学史的な研究を行いました。学部生のときには、量子力学の解釈をめぐるボーアとアインシュタインの論争について卒業論文を書き、修士課程では、コペンハーゲン解釈について、それを歴史的・社会的に分析して、修士論文を書きました。
修士を終えてから、運よくフルブライト奨学金を貰えたので、ハーバード大学の科学史学科に留学しました。ピーター・ギャリソンに師事し、そこで日本の物理学の歴史、日本への量子力学の移入についての学位論文を書きました。
2002年初めにギャリソンについてドイツのマックスプランク研究所に数か月滞在した後、2002年の6月より日本に帰国し、東京大学の先端科学技術研究センターに特任助手として着任しました。ここでは、主に技術史の研究をしていました。とくにテーマとしたのが、日本におけるロボットとコンピュータ・ゲームでした。コンピュータ・ゲームについて調べる過程で、メディア論や、カルチュラル・スタディーズに関心を抱くようになりました。
2006年4月に、東大情報学環へ特任講師として移り、コンテンツ関係の研究を続けました。しかし、同じ年の12月に総合研究大学院大学に助教授として着任し、そこで「科学と社会」の教育を担当しつつ、科学技術史、科学技術社会論の研究を続けて、現在に至っています。